山縣亮太は未熟児で肺の病気だった!出生体重や怪我など経歴・生い立ちまとめ!

男子陸上でオリンピック代表の選手に選ばれた山縣亮太さんは、100mで9秒95の日本新記録を出した事がある実力のある選手です!

幼少期の頃から陸上の才能を発揮して、陸上競技のエースとして活躍すし、アスリートとして身体を鍛えてきたことと思います。

しかし、山縣亮太選手は、生まれた際は未熟児で、肺が弱くて病気になった事がありました。

山縣亮太選手は、新生児治療室で処置されていたといい、かなり小さかったことが予想されますが、出生時の体重は何グラムだったのでしょうか?

今回は、山縣亮太選手の誕生から現在に至るまでの経歴について、

  • 未熟児で誕生の秘話
  • 肺の病気
  • 怪我の数々

とという情報を元にまとめました。

それでは早速、見ていきましょう!

山縣亮太は未熟児で出生体重は何グラム?

山縣亮太の出生体重は何キロ

引用:Instagram

山縣亮太選手は、出産予定日よりも2か月早い1992年6月10日に未熟児(低出生体重児)で誕生し、出生時の体重は1730グラムの小さな体で産まれたことで、新生児治療室(NICU)に入っていました。

山縣亮太選手が産まれた時の呼吸は弱々しく、新生児集中治療室で55日間もの間入院しなければならなかったそうです。

妊娠の平均期間は、十月十日(とつきとうか)といいますので、山縣亮太選手が予定日より2ヶ月前に生まれたということは妊娠8ヶ月頃(妊娠28週前後)で生まれたということになり、かなり早い段階で生まれてきたことがわかります。

また、退院してからも、一年間の外出禁止令が出されていたようで、明けて出かけた三重県伊勢で緊急入院と、大変な乳児期を過ごしています。

未熟児とは、37週未満で生まれた新生児のことで、生まれた時期によっては、臓器の発達が不十分のまま生まれてくる事があり、子宮外で機能する準備がで出来ていない事があります。

山縣亮太選手の名前にある、『亮』の字は、「明るく力強い」という意味をがあり、早産で誕生した事を心配した両親が、ただ一心に、元気に育って欲しい!という願いを込めて付けたという素敵なエピソードがありました。

山縣亮太選手選手は、小学生になっても背が低く、ひ弱だったと言われており、未熟児で生まれた影響で、慎重や体重など体の成長は周りに比べてゆっくりだったようですが、元気に育って大きくなりました。

山縣亮太は未熟児でも幼少期から早かった!

子供の頃からスポーツ少年で、小学生の時はサッカーと野球と陸上を掛け持ちでやっていた山縣亮太選手ですが、小学4年生の時にお兄さんが陸上を始めた事で、『自分も負けたくない』という思いから陸上を始めます。

すぐに才能を開花させ、小学校の代表に選ばれて出場した100m走の大会で、陸上クラブの選手たちをやぶって優勝した経歴がありました。

こちらが幼少期の山縣亮太選手の幼少期の画像ですが、やはり体の線は細く現在のガッチリした肉体とは対称的であることがわかります。

山縣亮太は未熟児で肺の病気だった!

引用:NHKニュース

しかし、山縣亮太選手は才能を発揮し、周りの同年代の選手との体格の差体力の差をものともせずに、陸上の世界で活躍していきました。

100mで圧巻のの大会で2位の選手を大きく突き放す圧倒的強さで優勝し、「走ることは自分の天職だ」と思ったとい、陸上一本に絞るという道を選択します。

そんな山縣亮太選手ですが、病気でかかり苦しんだ時期があったようです。

山縣亮太は未熟児で肺の病気だった!

山縣亮太は未熟児で肺気胸の病気だった!

引用:Instagram

山縣亮太選手は2019年から2020年の間、肺気胸という病気にかかり、ライバルの選手にタイムを抜かれて悔しい思いをした時期がありました。

気胸(ききょう)とは、突然肺に穴が開いて空気が胸腔(きょうくう)に漏れる疾患です。

10代後半〜30歳代に多い病気で、やせて胸の薄い男性が発生しやすいというので、未熟児で生まれたことは少なからず関係しているかもしれませんね。

特発性(とくはつせい)といい、原因不明の病気で、肺に穴が開いて、一時的に空気が漏れますが、多くはすぐに閉じ、漏れた空気は血液に溶け込んで次第に消るようです。

しかし、穴がふさがらずに空気が漏れ続ける場合がある事や、再発を起こす可能性が問題とされていますので、今後も油断は禁物ということのようですね。

山縣亮太選手の大きな病気は肺気胸が有名ですが、これまでにはそのほかにもたくさんの怪我に見舞われてきた事でも知られています。

山縣亮太は未熟児で怪我が多かった!

山縣亮太は未熟児で怪我が多かった

引用:Instagram

山縣亮太選手は未熟児で生まれ、病気をして育った以外にも数々の怪我に見舞われながらプレーをしていたことで、“ミスター逆境”と言われています。

  1. 2013年の日本選手権では、肉離れから復活して優勝。
  2. 2014年はひどい腰痛に悩まされ、記録が低迷して使命ました。
  3. 2017年の全日本実業団では、足首痛を克服して優勝。
  4. 2019年、東京オリンピックに向けた勝負のシーズンには気胸となり、セイコーゴールデングランプリは予選落ちしてしまいます。
  5. 2019年、11月には右足首靱帯断裂で、日本選手権を欠場。
  6. 2020年の秋には、右ひざが痛み出し、右膝蓋腱炎でほとんど練習できない事態に陥りました。

など、相次ぐ逆境に見舞われながらも、確実に記録を残してきた凄い精神力の持ち主なのです。

山縣亮太選手のご両親の話によると、山縣亮太選手は、つらい時やしんどい時ほど実に優しい“いい息子”になるといいます。

本来であれば、うまくいかない時期はイライラが募り、精神的に落ち着かなくなるところですが、山縣亮太選手はそういう時ほどしっかりと自分に向きあい、どうして行くべきか考えられる強いメンタルを持ち合わせているようです。

その性格があるからこそ、これまで大くの怪我に見舞われながらも逆境の時こそ力を発揮することができたのでしょう!

山縣亮太選手は高校時代から、たとえ怪我をして走れない時期があっても、陸上を辞めようと思ったことは一度もないといいます。

山縣亮太選手は未熟児で生まれ、生きるか死ぬかという試練を経験したことで、どんな困難があっても立ち向かえる強さを手に入れたのかもしれませんね!

山縣亮太の経歴とプロフィールまとめ!

山縣亮太のプロフィールと経歴まとめ!

山縣亮太の現在の身長と体重は?

山縣亮太選手のプロフィールは1992年6月10日生まれで、年齢は29歳。出身は、広島県広島市西区鈴が峰です。

現在の身長は177cmで、体重は74kgと結構ガッチリした体格です。

未熟児として生まれたのが嘘のように、筋トレや食事でしっかりと体づくりをされており、見事な筋肉のボディーをしています。

きっと、並々ならぬ努力をされてきた事でしょう!

山縣亮太の経歴は?

山縣亮太選手の小学時代の経歴

  • 小学4年生:広島市のスポーツ大会の100m走で優勝。

山縣亮太選手の中学時代の経歴

  • 100mと400メートルリレーで全日中に出場。

山縣亮太選手の高校時代の経歴

  • 高校1年生:大分国体少年B100mで優勝。
  • 高校2年生:2009年世界ユース陸上競技選手権大会100mで4位入賞。メドレーリレーで銅メダルを獲得。

山縣亮太選手の大学時代の経歴

  • 大学1年生:2011年山口国体男子100mでの日本ジュニア記録10秒23(+1.8)を樹立し3位入賞。
  • 大学3年生:1東アジア大会の男子4×100mリレー決勝で、日本チーム(山縣亮太-飯塚翔太-ケンブリッジ飛鳥-大瀬戸一馬)の1走を務め、日本学生混成記録および大会記録(38秒44)をマークしての金メダル獲得。
  • 山縣亮太選手の社会人時代の経歴

  • 2016年9月25日:全日本実業団男子100m決勝で、今シーズン三度目の自己ベスト更新となる10秒03(+0.5)をマークして優勝。
  • 2018年9月23日:全日本実業団男子100m決勝で、10秒01(+0.0)をマークし3連覇。(10秒0台は12度目で日本人最多)

これだけ見ても、山縣亮太選手のすごさが伝わりますね!

山縣亮太選手は、未熟児で生まてて病気も経験し、さらに数々の怪我に見舞われながらも走り、“ミスター逆境”と言われながら記録を打ち立ててきました。

今回のオリンピックでも、新たに記録を更新する走りで、メダル獲得に向けて頑張る姿を見れる事を楽しみにしています!