ソーズビーはゲイやオネエ?過去のいじめやキャラ作りについて!
YouTuberとして活動しているソーズビーさんがテレビに出演した際の喋り方を見て、
ゲイなの?オカマなの?と思った方が多い様です。
オネエ口調でズバズバものを言うソーズビーさんの濃いキャラはテレビ用に作っているのではないか?と言う声もありましたが、実際はどうなのでしょうか?
今回は、ソーズビーさんのゲイ・オネエについて過去のいじめやキャラ作り説をまとめました。
ソーズビーはゲイやオネエなの?
結論から言うと、ソーズビーはゲイでもオネエでもありません!
こちらの動画で、セクシャリティーについて語っていました。
現在、アメリカでは『LGBTQ +』の時代であり、性別は無限にあるという考え方が主流になっています。
LGBTQ +の意味は
- L : レズビアン
- G : ゲイ
- B : バイセクシャル
- T : トランスジェンダー
- Q : クィア・クエスチョニング
- + : その他にも様々な形があるという意味を込めて付けられている
となっています。
ソーズビーさんがゲイなのか、オカマなのか、という発想がそもそも日本人の古い考え方ということです。
しかし、セクシャル問題について熱く語っているソーズビーさんですが、オカマやオネエの味方という訳でもありません。
オネエやオカマの中にも
いい人、悪い人がいる。
本当に人(人間性)なの!
と言う言葉を言っており、本当にその通りだなぁと思わされました。
また、YouTube動画内で性別と戦争の関係を話し、偏見を持つ人に対して戦うと争いが起こるので、無視していくしかないと言う事も言っていました。
どちらが正しいかという主張をし合うのではなく、お互いを認めていこうという事ですね!
みんな違ってみんないいの風潮が当たり前となる事が本当の意味での平和なのだと思います。
ソーズビーはオネエでなくオカマだった!
動画の中でソーズビーさんは、『いちオカマの身から言わせていただきますとね、』と言っている部分がありましたので、オカマということのようです。
オネエとオカマの違いについてまとめました。
オネエ:身体は男性であり、心は女性の人。(女装しているかに関係なく、男性が好きな人)
オカマ:フェミニンな男性(同性愛や異性愛に関係なく、喋り方や見た目などが女性っぽい人)
時代と共に、言葉の意味が変化して若干異なるようですが、最近ではこのような意味合いで使われることが多いようです。
つまり、ソーズビーさんは、男性が好きかどうかはわかりませんが、可愛い服や喋り方が好きで女性っぽい人ということになります。
最近は、髪をロングに伸ばしていますし、過去にはインスタグラムに女装のような格好をした画像を投稿していたこともありました。

引用:ソーズビーのInstagram
スカートを履いているようにも見えますが、とても良く似合っており、ソーズビーというジャンルが確立されていますよね!
これからの時代は、みんな違っていい!ではなく、さらに一歩突き抜けた、人と違う人が活躍していく時代になっていくと言われていますので、ソーズビーさんは今後も活躍していく人物になりそうですね。
ソーズビーはオネエといじめられていた!

引用:ソーズビーのInstagram
ソーズビーは、小学生の頃のいじめについてYouTube動画で語っていました。
ソーズビーは小学生の頃にオカマと言われる嵐だったと言っており、オカマやオネエとからかわれる事が本当に嫌だったと言っていました。
高校生になってやっと自虐としてオネエと言えるようになったと言っていましたが、それでも言われ方がキツいと傷付くと念を押しています。
いじめとからかいの堺を判断するのは難しいですよね。
過去のことを客観的に振り返り、『今思えばからかいだった』と言えるソーズビーさんは強い人だと思います。
いじめをした側がいじめではないと言ったとしても、された側がいじめだと思えば、それは立派ないじめですよね。
ソーズビーのゲイやオネエはキャラ作り?
ソーズビーさんはズバズバものを言う濃いキャラが大人気ですが、喋り方がオネエっぽいのはキャラ作りなのではないか?と言われる事が多いです。
しかし、先程の動画でもあったように、小学校の頃からオネエと言われることがあったので、昔から今のキャラのままだったことが分かります。
天てれ。 ワルラジ 「学校に遅刻したときのいいわけ」
黒澤美澪奈 / ソーズビー航洋 / 金子隼也 and 中尾美晴(新人)
全部(4分)⇒ https://t.co/KIW9Xmu1jU
後半(2分)⇘
— pic.twitter.com/AMaOEptpCu— 恋の天才 (@koino1031) October 19, 2016
元々、語尾を伸ばしがちな喋り方であったようですね!
オネエキャラになりテレビで爪痕を残そうとして、あえて濃いキャラを演じていると言う事はないと言えるでしょう。
キャラ作りをしていると言う自覚はなく、ありのままの自分をさらけ出していると言うのが正しいと思われます。